ペンギン魚の一生~2008年8月最終。(Version.6)

2006.11.25 国分寺「クラスタ」にて。



2001年春「平日練習するバンド」をテーマに、だん(2nd)と潤哉(4th)でメンバー募集開始。
最初はなんとなくトライトーン(Jazzyなハーモニーを美しく歌う日本のスーパー・グループ)の
楽譜から始めようと軽いノリでメンバー募集を始めるも、思った以上に難航。
最初にくらっち(3rd/Indigo Blue)が反応し、彼の紹介でみずえ(Top)が加入。
「ジャズの日」の掲示板で知り合ったゆたか(Bass)が最後に加入し、第1期メンバー(#1)確定。

初期のレパートリーはトライトーン、VOX-ONE、シンガーズ・アンリミテッドと
「JAZZ風ハモリ愛好団体」の典型だったが、徐々にコピーの限界を感じ始め、
だんのアレンジ力急上昇を頼みに少しずつ方向転換、
オリジナルアレンジをレパートリーの中心に据えていく。
「こどもの城」ライヴでは振りをつけてみたりなど、不慣れなエンタテインメント方面に
首を突っ込みかけつつも、沢知恵の名曲「こころ」に出会って以来、
レパートリーは自然に「日本語・佳曲・ハーモニー」の方向に収斂。
以後、エンタテインメント路線とはほぼ決別、
「大人向けア・カペラ」路線をひたすら邁進。これが我らの生きる道。



2002年12月から、くらっちが個人的事情により活動を休止、そのまま脱退へ。
活動継続のため、Panache'&8th-ave.で活動していたナカチョ(3rd)を
翌年5月までのヘルプメンバーとして迎える(#2)。
ほぼ同じ頃、みずえの海外留学話が浮上。準備のため2003年5月にて正式脱退。

同年5月末、新メンバーさすけ(Top)&誠(3rd)の加入により再始動(#3)。これをもって「第二期」を宣言。
基本的にこれまでの「日本語」「佳曲」「ハーモニー」の三本柱はとりあえず踏襲しながら
新しい顔ぶれの個性に合わせたレパートリーの開拓を開始。
同時に、音楽のまとまりかたが少し変わり始める。

2003年12月、かねてからの体調不良を理由にさすけ脱退が決まる。
急遽メンバー募集の結果、年明けの1月、当時 8th-ave.で活動していたまほ(Top)から
始動以降初の「メンバー募集応募」が来る。(ここまでは常にコネ・紹介・口説きだった)
声合わせ段階でひと耳惚れ、メンバーとしてお願いすることを即決定し、#4始動。

2007年~2008年にかけて、一部メンバー間に互いの活動スタンスへの不信が芽生え始める。

2008年2月、#4メンバーで満4年を迎える。
2008年8月16日、東向島プチ・ローズでのライヴをもって、2680日の歩みに終止符を打ち、解散。



初ステージは2001年「上野の森コーラスパーク」内ア・カペラ・イベント「外でも元気」。
同年、「青山こどもの城」クリスマス・コンサートに初出演。以来ほぼ毎年出演継続中。
2002年 JAM2002(Japan Acappella Movement)オーディションを通過、出場。
これを機会に、バンド名をカタカナ表記「ペンギンフィッシュ」と改名。
2003年 KAJa! 2003(関西アカペラジャンボリー)オーディションを通過、出場。
2005年 マーク・ジョンソン氏のグループ・レッスンをきっかけに、サウンド面での転機が訪れる。
「京都Voice Cafe」「上野の森コーラスパーク」などのイベントに生声で出演。
2006年 結成5周年を迎え、ほぼ同時期に通算100ステージを突破。自主公演、5周年記念ライヴを2会場で敢行。
試みとして、ライヴにウクレレなどを加え始める。
同メンバーで3年を越えた2007年頃から、少しずつサウンドも安定期に入り始めた。満7年を越えた2008年の段階では、レパートリー総数は70曲を超え、通常歌えるレパートリーも50曲近かった。

グループ名は、リーダーの「ペンギンって魚類でしょ?」という
冗談とも本気ともつかない(本気だったら怖い)発言から。
“何者でもない個性を” という願いが密かにこめられた命名である(願望)。