5周年記念自主ライヴ・顛末記 2006/6/17

■とてもとても長い前説1~ライヴの企画

ライヴ企画の発端は1年半前の、2004年11月に遡る。

ベーシックな能力値はそれなりにあっても、むしろだからこそ器用になれないこのグループの運転には、さながら大型コンテナ車なみの先読みが必要で、急ハンドル・急アクセルは絶対ろくなことにならない。そんなことを実感していることこそ、続いている重みなのかも知れないが。ともあれ、そんなことを踏まえての、1年半前からの「記念」計画。

ただし、この段階では、録音セッションの体験が第1の目的だった。ここ一番で何かがっちりしたことをやろうと思えば、恒常的にしんどい体験を超えておかないと難しい。で、日常においてハードな作業をやるには、録音が一番だ、と最初は思ったのだ。

「2005年~2006年頭にかけて月1曲ずつ録音して、2006年4月の5周年をきっかけに配布できれば」というようなことを最初のメールでは書いていた。この周到な計画がまるっきり甘かったのは後で良く判る。易きに流れやすいペンギンども、目先のことしか考えられない(当然自分も含む)上に、日常のテンション持続など望みようもない怠惰な体質なのだった。
かくて、夏場は名古屋だ京都だ上野だと走り回ったあげく、2005年9月頃にようやく着手しかけた録音は、こりゃ無理かなぁ、という挫折感とともに一旦棚上げになるわけだが、ともかく最初は「長期計画によるスキルアップの企み」がすべてのきっかけだったのだ。


2005年の新年会で「5周年記念単独自主公演」の話が一気に加速。ちょうどこの頃は、花村との「花鳥風月」という合同企画が進んでいたが、このあたりからすでに脱ア・カペラ・イベント的なイメージはあった。議事録は残っていないが「立ち見にせず飲食可能なスペースで」「自分たちとテイストの違うグループをゲストで。Matrix さんはぜひお願いしたい」などという話はごくごく初期から出ている。しかし、この段階では cure*m もくんくんしーらやも全く知らない状態。「うーん、どこがあるかなぁ」と、夢物語のような状態だ。

2005年6月頃から、「ノミの心ぞう」の名前がMLに登場し始める。この頃は、夏の京都イベント関連で Tanto Guts との交流が濃く、合同アンプラグド・イベントなどという話も盛り上がっていたのだが、その関連でイベント「休みの日には音楽家」に行ったリーダーが、このグループの演奏にいたく感激し、ぜひ近々ゲスト・バンドで呼びたい、と宣言したのだ。

ちなみに潤哉がウクレレ熱に取りつかれるのは8月。なんのきっかけもない、と思っていたが、良く考えると、「ウクレレ」という単語が家庭内で頻出するようになったきっかけはこのバンドだったはず。それが京都で思わず買ったアロハと脳内で結びついて「そうだ、ウクレレを始めてみよう」となるのが我ながら安直だと思うが、ともあれ、このあたりからすでに、病へと至る道は引かれていたらしい。

かくて、潤哉が衝動的にファースト・ウクレレを購入して1週間、という頃合いで、花村のメンバーが東京に出てきていたのを歓迎する呑み会(洒落にあらず)で、ノミの心ぞうのメンバーと初対面のご挨拶をすることになる。メンバーには以前知り合った合唱関係者も居てびっくり。まだ音も聞いていない状態ながら、皆さま実に良い呑み手であり、すぐに意気投合できたのだった。


秋口頃から、前述のとおり、録音セッションを試験的に開始するのと同時に、5周年ライヴの企画も本格的に走り出した。Matrix とノミの心ぞうへの打診は早い段階でスタートしたが、まだ会場については全然アテがない。やはり Tanto Guts の飯塚氏の勧めで出てみた cure*m が一発で気に入り、なんとかここを使えないか、という話になる。

そのまま、またも本番本番と走り回っているうちにあっという間に年末だ。この頃には、月に2~3回程度の練習で2本強の本番をこなしている状態では、練り上げた音とライヴの上達の両立は無理だ、というアキラメがすでに生じていた。しかし、今一番必要なのは、ステージの量をこなしていくことで、多少なりとも生演奏をやる側になるという行為に慣れることだ、と心は決まった。もう、ライヴメインで考えるっきゃない。

そして2006年1月。某本番の後で新年会。さまざまな話が一気に進み始める。ゲストグループをどうするか、という話で、Matrix とノミの心ぞうのどちらにお願いしたいか、テイストの異なる、という意味ではどちらを捨てるのも辛い… というような話になった時、じゃあ昼夜2回公演にして両方呼ぼう、という無謀なアイディアが登場(こんなことを言い出すのは潤哉に決まっている)。ならば夜の部は、使い始めたばかりの「くんくんしーらや」でどうだろう、という話も一気に出て、ほぼ最終形が見えてきた。


■とてもとても長い前説2~配布録音物

5周年記念ライヴでの音源配布、ということがすでに規定路線で進んでいる中、実はけっこう思い悩んでいたのが録音だったが、前述の新年会の頃までには、こちらも腹が決まっていた。思い切って録音自体のやり方を変えると宣言。
つまり、一番好きな形で、一番本番に近い形の録音を残す、ということ。肉声でのアンサンブルを、そのままステレオマイク一発録りで収録し、数回の本番テイクでなるべくたくさん残して、使えそうなものだけをエフェクト処理してCDに収録するのだ。

録音日程をやはり新年会で決め、スケジュール調整。もうこの際、長時間でも負担がかからないようにと、スタジオなどは諦めて、メンバー誠さんの職場を借りてもらった。

さて、セッション初日、1月21日当日… 見事に大雪。



最低限の機材とはいえ、スタンド、マイク、レコーダー、アンプ、スピーカー、ノートPCなど詰め込むと荷物はけっこう重い。呪詛の声をあげながらカートを引きずって六本木へ。

ステレオ録音とは言っても、やはり録音となると心理的にはかなりプレッシャーとなる。おまけに今回は、録ったその場で再生し、全員で確認という手順だから尚更だ。シビアな空気に不慣れなメンバー一同、凹む凹む。数曲回したところですでにどんよりとした空気。

どんより。

なかなか身体も起きて来ず、結局夕方くらいまで、ほとんど使い物にならないテイクを繰り返した(結局、この段階までのテイクで使えたのは「魔法の黄色い靴」だけ)。

とにもかくにも、この日のノルマである曲を一通り回し終えたところで「もう一回だけプレイバック無しの通し録音をしよう」と提案。この回は、マイクも外してレコーダー付属のマイクで、少し距離を置いて録音した。最終的には、この「録りっぱなし」テイクから、半分ほどのOKテイクを出すことになる。

結論。俺たち、自分らの歌がよっぽどキライなんだ(笑)。

2回目のセッション、2月11日。場所は神奈川地区センターに変わり、ノルマの残り半分を録音。ここは練習場がややデッドで、やや歌いにくそう。手強い曲が多かったこともあり、結局この日のセッションからは「土曜の夜はパラダイス」1曲しか活かせず。

3回目のセッションは2月25日。ここまでに録音した曲の中から、希望を募ってリテイクを中心にした。
この回は、機材操作における時間のロスや、気分転換やらの問題を重視して、鈴谷桃子/阿部貴の両名を録音ディレクターとして招聘。といっても、やっていただいたことは、録音機のスイッチを押してもらうこと、およびムードメイカーである。といいつつ、この存在は非常に大きく、見栄坊の我々にとっては、最終的にペースメイカーとしての役割も担ってもらうこととなった。感謝。最初からこうすりゃ良かったなぁ。

録り残し、まだ行けるかと思ったもの、拙かったもの含めて10数曲を録音したが、結局リテイクが成った曲は4曲だけ。おまけに今回も、終わり間近になって疲労困憊となり、頭が真っ白になった頃の録音のほうが使えるという現象が露骨。要するに、下手の考え休むに似たり、ということか。

ともあれ、これ以上とてもやる気にならんということで、録音はおしまい。2ヶ月強放置した上で、5月の連休で一気にミックスダウン(といってもほぼリバーブかけるだけ)とCD作成、ジャケット作成といった作業を、佐々木家の内職でやっつけた。

結局、今回のプライベート盤に収録できたのは次の11曲。

(1月21日録音)ペンギンフィッシュのテーマ/魔法の黄色い靴/竹田の子守唄/夢で逢えたら/青春の影
(2月25日録音)小さな恋のうた/私について/Let it be/満月の夕/岬めぐり
(2月11日録音)土曜の夜はパラダイス

入れるつもりだったのに入れられなかった曲が、「花」「このばしょ」「サニーデイ」など。入ったなかでも、かなり妥協したものもある。とはいえ、2ヶ月から寝かせておくと、耳が細かいことを忘れているので「まぁ、これなら仕方ねぇかな。オッケオッケ」などと思えるようになる、というのは思わぬ誤算。ちゃんとした録音は、もうちょっと細かいオペレーションを「自然体」でできるようになるまではお預けかな… じゃあ無理だって?(苦笑)



■前日まで

さて、この調子でやってるといつまでも本番が始まらないので、さすがに少しはしょろう。というわけで、あっという間に本番直前である… こりゃはしょり過ぎか。

何せ練習量が絶対的に足りないので、その分を本番で稼ごうと思うと、どうもやり方が荒っぽくなる。そして、そんな中、練習では無茶をせずとなれば、本番で無茶が来るわけで、つまりは多少でも本気になるという流れの中、そのマイナス面もあちこちに噴出しつつ、ともかくも何とかバランスを取りながらの数ヶ月。

たぶん、こんな「バランスの方法論」みたいなものを考えていくことが、一番あとに効くのだろうし、逆に、下手をうてばここで頑張ったのが元凶でバンドが潰れたりするわけだ。さすがに関わったグループの数もそろそろ半端ではないので、それなりの経験則もある。集団では、焦って場からはみ出た奴がともかくも負けなのだと自分に言い聞かせつつ、ジリジリと先へ先へと貯金を積み重ねる日々。

何ヶ月も前から曲目を固定し、プログラムも実質的に決め打ちとし、初出しや久々の曲は必ず事前に本番をやり、何とか安心できる状態にほぼなったと思えたのが約半月前。まだ練習は3回近くある。あとは歌い込むだけか… って、録音聞いたら歌詞が嘘ばっかりだったりするんだよな(笑)。急遽本番の週にも練習を投入。

今回の場合、練習一回では全部の曲が通らないのだった。何せ、昼の部と夜の部で全部曲目を変えるというマラソンプログラムなので、歌う曲数が両方で27曲。のべ分数でも2時間近いので、ほとんど曲間を取らず、ただ歌うだけでも、結局最後のほうで時間が足りない。ということは、当日も全部の曲は歌えないわけだ、これだと。

結局、いくら練習しても、本番のことは判らない。練習で上手く行くことがあるのはだいたい判ってしまうと、本番で上手く行くかどうかは、本番の日の環境や体調や気合次第だ。この辺が現在のペンギンの限界で、あとは運を天に任せるのみ。いっそバンド名を「任天堂」にしとけばよかったなぁ。商標で訴えられたりして(笑)。

そんなわけで、ちっともはしょらないまま最終練習終了。練習担当としちゃ、何となくある感慨がある。いやいや、当日はどこに集合するか、という最後の重要問題が残っている。声だしなり歌い込みなりを入念にしなければ、全てがおじゃんになりかねない。

しかし、当日は朝11時入店。10時からやっているカラオケなりスタジオは… 近所にはないよなぁ。なまじ離れてしまうと移動時間がロスだ。週末は雨の可能性が高い。結局、前日の天気予報とロケハンで、代々木の駅前で人目も憚らず声だし・歌い込みでいこう、ということになった。


■当日

そして当日。前日の夜中に完成した印刷物のコピーを済ませて集合場所へ。もう恥も外聞もあったもんじゃなく、一般のかたが通る道端で輪になり、ひたすら声だしを兼ねて歌います。こういうときって、外向きのムードというかそういうものを一切出していないので、近くを通る人の反応もなんかナニです。電車のベンチで寝ている酔っぱらいを見るような感じというか(笑)。

時間になったので会場へ。ノミの心ぞうさんが楽器の準備などしている間、印刷物やらCDを準備。自分はとりあえず録音の確認などを入念に。しかし、ここで電池を使いすぎたのが拙かったようで(ちゃんと電池は当日新しく充電しましょう)、本番のアンコール直前でメイン録音機はバッテリー切れとなったのでした…

リハの最初は、この日初音だしの「中央線」の合わせ。といっても、それぞれのグループでは本番が済んでいる曲なので、ざっと2回ほど歌っただけでおしまい。肉声でやろうか、マイク持ちでやろうかという懸案は、結局他の曲との音圧差がありすぎるので、マイク持ちに決定。

そのまま自分たちのリハーサルへ。ここでの外聞きはそんなに悪かったわけではなかったのだけども…


■昼の部

バタバタと各自昼飯。自分はジンクスどおり蕎麦。ここ一番の日の昼飯は蕎麦にすると良い、という個人的にあるのだった。帰って来たらもう観客が並んでいて、改めてテンションが上がる。久しぶりの顔もあり、お馴染みの顔もあり。

とりあえず前口上を述べて本番突入。



観客が入ると、やはり全体に少しPAのボリュームというか鳴りが上がる感じで、何となくリハよりもやりにくい感じ。ペンギンは、芸風的にはいまだにパワフルなPAには弱くて、大きい音に包まれてしまうと、どうにも良いところが出てこない。自分たちの音が少し遠くで鳴っている、というくらいの感じが好きなバンドなのだった。

案の定、両外声のピッチはのっけから不安定な感じだ。慣れないモニターの音圧に対して、それぞれの頑張り方がバラバラになっていて、こういう時にはそれぞれの個性が悪いほうに出るものだ。後で録音を聞いたら、音量面でも音程面でも、あっちに合わせたりこっちに合わせたり、という合意がまったく取れておらず、特に前半の曲は全体にグチャグチャであった。よくもまぁこれをニコヤカに聞いていていただいたものだと思うと、脂汗が出る。

今回は、普段ほとんどMCをやらない潤哉以外のメンバーが、4つのステージでそれぞれ単独MCを担当するという趣向? を設けた。昼の部前半は、まほ担当。なんの衒いもない素のトークという感じで、この人にはもうちょっと喋ってもらわんとなぁ、と思っていたわけだが、なんであのトークで緊張するのかが自分には良く判らん(笑)。



昼の部のゲスト・ステージは、ウクレレ・ユニット「ノミの心ぞう」。たぶん我々の路線と重ならないよう配慮してだろう、今回はジャズ・チューン中心の渋め選曲。安定した演奏力のグループだけに、安心して聞いていられる。



彼らのステージの最後に合同演奏で、THE BOOMの名曲「中央線」。ウクレレ2本にベース、コーラス5人という編成はなかなかにゴージャスで、ちょっとハワイアンな雰囲気も漂う。思わず「ハワイの中央線って感じですね」とひとこと(笑)。



後半のステージ。今度はア・ラ・カルトな感じのプログラムながら、半分は元ヘルプメンバー、ナカチョのアレンジ。しかし、歌いなれた曲も、今日の感じではイマイチ、という感じ。「Let it be」最後のロング・トーンでは、しっかり突っ張ったビリビリ音まで出てしまった。まだまだ「聞いて音を作る」ところには届いてねぇなぁ。

MC第2弾担当:誠。内容は良く覚えていないが、実は、半ば時計とにらめっこな気分であった。さすがベテランだけに、よどみなく喋るのだが、いや、フレーズが長い(笑)。
MCというのは案外時間を喰うもので、だいたい、何か一つネタを準備して、それについてひとくさり、格好が付くように喋ると、3分くらいは喋っていることになる。要するに、1曲分くらいはかかるのだ。ここで、メンバー個々に何か喋らせようなどとすると、5分オーバーは確定となる。
普段のペンギンだと、だいたい与えられた時間の7割くらいで曲目を考えて、ほどほどにはしょって喋るとちょうど時間に納まる感じだが、たぶんこのステージは、曲の時間と同じくらいはMCだったのではないか。たぶん、全体で予定時間の5割増しくらいか? ちなみに、曲だけの時間だと25分程度だったが…



それでもちゃんと最後に「青春の影」までやって終了。



元メンバーの感想「やっぱりちづるさんのアレンジは難しいと思ったよ」。…ははは。決して歌い手として「歌いにくい」とは思っていないし、良いハコなのだと思うのだが、如何せん、自分「たち」の出音に対してやや無責任なとこまで、PAはしっかり増幅してくれてしまうのだった。嗚呼。


■移動中

ともあれ、終わった瞬間にそこまでいろいろ考えているわけではない。ともかく半分終わった達成感もあって、今度は観客でおいでいただけるという「ノミの心ぞう」メンバーとともに、ウクレレ談義で盛り上がりつつ、割とハイ・テンションのまま次の会場まで移動。しかし、残るメンバーはトシのせいもあってか、すでに座席でグロッキー状態。寝ている奴まで現れている。こんなタイミングで休んじゃ、後のことは知らねぇぞ。

もともと強行軍のスケジュールだけに、着いたらすぐに準備と音だしとなった。リハーサル一発目は、まさに最低という感じのオト。一同、身体がまるっきり起きておらず、ハーモニーの体をなしていない。
これをやっちゃぁ駄目だよな、と、思わず早々に切り上げて、舞台裏での歌い込みを宣言。音が出る直前までガリガリと練習である。ラクして楽しく歌えるほどの練習量も経験値もない以上、ひたすら気力体力とをキープするっきゃない。

幸いというべきかなんというか、ここで演奏のスタート時間が店の側と我々側でズレていたことが判明。だいぶお客様を待たせてしまったが、おかげで十分声だしはできた。


■夜の部

そんなわけで、なんとか夜の部までたどり着いた。



夜の部のMCトップは、ゆたかさん。この人こそ何を喋るか分からないわけだが、ある意味ちゃんと計算されているのに、喋る内容は自虐ネタというものだった。それでも場が凍らずに済んでしまうのは、やはり音域とかキャラクターだろう。自分が同じ内容を喋ったら、とてもじゃないけどステージが無事に終わる自信がない(笑)。

※黒い感じを表現してみました

歌い込みが効いたのか、それとも発破かけたのが効いたのか、はたまた馴染みの会場だからか、音を出してみれば案外何とかなっていて、ひとまず安心。尺の長いステージというのは、最初の2曲くらいで波に乗れるかどうかで、その日丸ごとが決まってしまうのだ。この会場は、PAが高いところにあり、かつ音量が控えめなのも我々には良いのかも知れない。そういえば、ゲストバンドの「Matrix」は、返しが弱くて困ったと言っていたっけ。バンドそれぞれなのだ。

前半ステージの途中に、Matrixメンバー・ノグさんからのサプライズ。ペンギン型の花束贈呈だ。さすがこういうところの粋さ加減は、我々のような気の利かないグループの及ぶところではないわけで、一同もう脱帽モード。




対して、余裕どころではない我々は、Matrix のステージの間も、引き続き必死の声だし。せっかく呼んだゲストの演奏もほんの少ししか聞けないありさまだ。情けないが、ステージ内容には全幅の信頼を置いているグループだけに、お任せできたのを良しとしたい。



ステージが終わるころに慌ててステージ近くへ。
ここで「演出」があることは先に決まっていて、あらかじめ「演奏前に名古屋のある人からメッセージがあるから、それを読ませてね」と言われていたのだが、たぶん前年にお邪魔した時の知り合いだろうな、と思っていたのだ。Matrix の山本さんが「私は2003年の Kaja で皆さんを…」とメッセージを読み上げた瞬間、思わず「あぁっ!」と声に出してしまったのだった。



2005年の12月9日、MLに一通のメールが来た。それは、大阪の高校生からのメールで、クラスに来ている留学生トニーがアメリカに帰る時のお別れ会で、我々の(ということはリーダーの)アレンジの「小さな恋のうた」を歌いたいという依頼だった。Kaja! で聞いて印象に残ったこと、思いを歌う歌だから、こういう時に歌ってもおかしくはないと思う、というような内容が真摯な文章で書かれていた。我々は喜んで音源と楽譜を送り、その事後報告も受けたのだった。
彼が Kaja! に来たきっかけは、「けんけろりん」という名古屋のア・カペラ・グループを、お姉さんと一緒に聞きにきた(彼のお姉さんは、後にこのグループのメンバーと結婚している)からだったが、このメッセージは、そのお姉さん、大沼三智子さんからだったのだ。
大沼さんと matrix のメンバーは、名古屋のア・カペラ・イベント「FAN」をきっかけに知り合って、たまたまこのライヴの話になり、もしかしてあのペンギンフィッシュさんですか?… という話になったのだという。この、奇遇の連続から我々に届けられたこのメッセージは、弟の突然のお願いを快く受けてくれた皆さんに感謝します、というような言葉で結ばれていた。
こうして東京と大阪と名古屋と京都とアメリカは、高森大介くんを媒介にして見事繋がったのだった。

そして、この「演出」の後に始まるステージの1曲目に用意していたのが、奇しくもこの「小さな恋のうた」だったのだから参った。そこまでは、Matrix のメンバーも知らないはずで、縁という不思議なものは、時々こうやっていたずらをするのだ。

歌いだす前の誠さんの一言「ちょっと待て。…泣く。」は、実はメンバー一同の気分でもあって、さすがに声が震えるのは止まりませんでした、はい。



記念ライヴの最後を飾るステージは、当然リーダー佐々木典子のアレンジ集。ちなみにMCも当然本人。結局、いろんな人のアレンジを歌っていながらも、我々は彼女のアレンジが一番しっくりくるのだな、ということが聴き手にも分かってもらえるようなステージをやれたと思う。もっとも、MCのほうは、すでにだいぶ介入モードに入ってしまっていたが…



プログラム終了後、Matrix の皆さんにもう一度ステージに出てきてもらったのは良いが、うっかりしていたらあっと言う間に去られてしまった。ここでもう1曲、とサラリと出なかったのは残念で、ゲスト慣れしていないことおびただしい。

代わりに、というわけではないが、お客様でおいでいただいていた「ノミの心ぞう」のお二人(ベース飯塚氏は練習で不在)に急遽お願いし、こちらでも「中央線」を、今度はノン・マイクでご披露。これが非常に好評で、何人ものかたから「何故あれがCDに入っていないのだ」と文句を言われたとか(笑)。そのうちぜひシングル盤でも作りたいものだが。



それはそれとして、我々はやっぱりノン・マイクが肌に合うバンドなのだなぁ、ということは、今回の感想でも実感した。少しノン・マイクでの演奏レパートリーや、楽器付きのレパートリーも増やさないとなぁ。

ライヴの最後は、懐かしい「こころ」で締めくくり。この曲も、これからまた大事に歌っていく予定。


■翌日…

当日は、どうせ帰る気力などないだろうと、上大岡に宿泊。
翌日帰宅したら、名古屋の盟友グループ「花村」から、メッセージカードが届いていた。代々木から一回戻れればたぶん当日に間に合っていたのだろう。昨日の余韻とともに嬉しく読ませていただいた。



そして、録音を聞いて、脂汗…(^_^;)。思わず一瞬で「今後の課題と計画」が10項目くらい頭の中を走り回った。この瞬間から、自分の中では「次」が始まる。楽しくなるのは、まだまだこれからだ。

-了-

文:潤哉
写真:和泉守 兼定(注:mixiのハンドル)